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内容の概略
断簡1 タコの心
飢えを満たすために法を売る「売僧」たちの本性を突く。大石寺第56世貫主・大石日応が詠んだ歌よりその一端を読み取る。「売僧」をタコに擬し、「C作戦」の謀略の必然性を述べる。
断簡2 仄見えた奸計
平成2年12月、創価学会池田名誉会長の総講頭罷免直前、日蓮正宗管長・阿部日顕の暗部を知り尽くした河辺慈篤に、著者が面談した状況を再現したルポルタージュ。
断簡3 明かされた本音
平成2年12月25日、反創価学会ジャーナリスト段勲ら3名が阿部日顕と面談し、謀議を行なった模様。
断簡4 昴の夜
平成2年12月25日、阿部日顕との面談を終えた段勲が向かったのは山梨県の西山温泉。そこには創価学会元教学部長の原島嵩や反創価学会ライターの内藤国夫や乙骨正生が。謀議は深夜まで行なわれ、翌日、一行は日蓮宗総本山の身延山久遠寺へ参詣した。
断簡5 洩れた奇襲計画
池田名誉会長の法華講総講頭の地位を規則変更にかこつけ不当に罷免し、日蓮正宗から創価学会を分離して信徒をかすめとることを企図した「C作戦」。しかし、その発動直前に、「C作戦」は「地涌からの通信」編集長の不破優に探知され、創価学会の知るところとなった。創価学会は日蓮正宗の想像を超えた速度で一大結束を固め、日蓮正宗が企図した「C作戦」は、発動の当初より思惑が外れた。
断簡6 岩を穿つ雨滴
平成3年1月1日の創刊号から、平成8年2月16日の第901号まで全国の日蓮正宗末寺に向けて発信されたファックス文書「地涌からの通信」。平成3年1月3日の『地涌』第3号で、段勲らとの面談をすっぱ抜かれた阿部日顕は動揺し、同年1月6日の教師指導会において嗚咽した。
断簡7 高笑う服役囚
平成3年1月5日、山崎正友の部下の梅沢十四夫に、阿部日顕から過去の経緯を山崎に謝罪する伝言がなされた。収監を目前にしていた山崎は狂喜し、日蓮正宗に対して「C作戦」実行のための種々の情報操作を行なってきたのは自分だ、と浜中和道に自慢した。収監前日には「静養には刑務所が一番だ」と虚勢を張っていた山崎だが、収監後、一転して泣き言を述べる。
断簡8 揺れる戒壇論
昭和40年、「実質上の戒壇建立」「御遺命の実現」として355億円もの浄財のもとに「正本堂」建設が決定された。ところが日蓮正宗の一講中にすぎない妙信講・浅井親子の妄言に動揺した細井管長は、正本堂完成直前の昭和47年になって、その意義を後退させた。
断簡9 心を喰らう餓鬼
正本堂の意義の変更は、創価学会の行く手を阻もうとする野合組織である創対連の運動にはずみをつけた。創価学会顧問弁護士として、これに対応した山崎は、創対連の一部を切り崩し、その背後で画策していた立正佼成会を攻撃する。だが山崎は野心を抱き、立正佼成会の分断によって新教団の設立を企図する。だが、池田会長の厳しい指導で計画は頓挫し、そのため山崎は池田会長をうらむこととなる。
断簡10 無知の暴走
昭和48年6月、日蓮正宗総本山大石寺がおこなった正本堂のずさんな土地処理によって、細井管長と池田会長が静岡県富士宮市に刑事告発された。原因は大石寺が取得した不動産について杜撰な法的処理をしていたため。池田会長はその巻添えとなった。告発は取り下げられたが、富士宮市の現地調査を行った著者は、日蓮正宗僧侶らの「無知」に愕然とする。
断簡11 猜疑の根茎
広宣流布のため、大石寺の会計整備を願い出た創価学会に対し、細井管長は「宗門の金を調べているのではないか」との疑念をもった。「日蓮正宗国際センター」の設立に関しても、日蓮正宗を支配する上部機構を学会が作ろうとしているのではないかと疑った。世界広布に無関心で我慢偏執の細井管長の本質が現れ、宗内に動揺が走った。詳細な記録文書を駆使して、その有様を再現する。
断簡12 銭ゲバたちの出会い
学会顧問弁護士として宗門首脳部に接触し、その本質を見切っていた山崎は、地元の造園業者・日原と組んで細井管長を利用し、4億5000万円を手にした。
断簡13 国際軍事戦略の爪
昭和51年の月刊ペン事件の背景には、強大な国際軍事戦略の深層海流が流れていた。同事件と金大中拉致事件に共通して暗躍する多くの特務関係者たちを結ぶもの。その深層に著者は自身の経験から迫っていく。
断簡14 法滅尽の時
大石寺第57世貫主・阿部日正から第63世・秋山日満まで、歴代貫主の相承は異常なものばかりであった。創価学会を賛嘆した日昇、日淳の時代になって初めて相承は正常化し、宗門も栄えた。日淳法主の最後の指南も創価学会への感謝に満ち溢れたものであった。細井管長は登座前の昭和27年の「宗旨建立700年大法要」において、史実を捏造し学会を欺いて戸田会長処分に加担していた。登座後は学会擁護の姿勢を貫こうとした細井管長管長であったが、結局、創価学会の発展についていくことができなかった。
断簡15 驕慢の燕雀
大石寺の暴力的所化教育の中で、信徒を見下す若手僧侶たちが醸成されていた。その一人、菅野憲道の傲慢な論文が引き鉄となり、細井管長の不用意な発言も加わって、若手僧侶達は反創価学会のうねりをおこした。
断簡16 掌中の玉
山崎正友は、僧侶たちの病んだ心理とマスコミを利用して細井管長を篭絡し、創価学会攻撃へと向かわせた。そして細井管長の心臓が悪くなったことをも利用し、同管長について「玉を掌中にした」と自慢した。
断簡17 錫杖の音
昭和53年、「御本尊模刻問題」が惹起したが、全ての御本尊は細井管長が許可したものであった。昭和54年3月、福島源次郎の大牟田舌禍事件が宗門の反発を買い、池田会長は勇退に追い込まれた。しかし同年7月に細井管長が死去。山崎はその葬列に大講頭として参加し、その姿を銀行幹部に見せることで、細井管長の死をも金儲けの手段にした。
断簡18 掴んだのは藁
細井管長の死後、登座した阿部日顕には細井管長より相承がなかった。山崎は阿部をも篭絡しようとしたが遠ざけられた。しかし、「C作戦」遂行に失敗した阿部日顕は出獄直後の山崎に一方的に詫びを入れ、山崎を宗門に復帰させた。相承を受けていない阿部日顕は出獄した山崎に相承があったことの証を求める。
断簡19 魂
牧口初代会長の獄死。戸田第二代会長の獄中での悟達と師弟不二の精神。日蓮仏法の魂は創価学会にこそ流れる。
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